新しいオート
料理人の数は、シェフを含めて十八人もいて、ホールのサービスをする人間もほぼ同数、四十五席の客に料理のサービスをする従業員の比率は、パリ随一ではなかろうか。
Jが「ジャマン」という店を買いとって新たに開店したのが八一年、翌年、「ミシュラン」にいきなり1ツ星で登場、そして八三年にニツ星、八四年には最上級の三ツ星と、ホツプーステップージャンプよろしく、「ミシュラン」の歴史はじまって以来、最短距離で頂点へ登りつめてしまった。
以後、三ッ星を堅持しながら、現在、絶好調である。
そのJが、数年まえからこんなことを言いはじめている。
「五十歳になったら料理人をやめる。
なにせ、二十代の頃から人の三倍は働いてきたから。
わたしには、まだ他にやりたいことがいっぱいあるんだ」職人気質に徹した料理人が次に目指すものというのは、いったい何だろう。
一九四五年生まれのかれは、今年四十八歳になる。
「ジャマン」にならって、限られた客室数でしかもクォリティの極めて高いホテルを一軒選ぶとなると、八区の「オテルードウーヴィニー」だろうか。
パリの隠れ家的要素が強いホテルで、三十七室しかない。
場所は、劃旋門からほど近いバルザック通りにある。
メトロでいえばジョルジューサンクに近く、シャンゼリゼの大通りから横に入ったバルザック通りのほぼ中央にある。
この通りには「オテルーバルザック」という粋なホテルがあって、わたしのお気に入りの一軒だが、「オテルードウーヴィニー」はそれと同経営のホテルで、フランスの詩人の名前をつけてある。
ホテルの玄関は通りの角に面しているが、目立たない。
回転扉を入ると、そこはホテルのロビーというより個人の邸宅の居間といった趣で、部屋の片隅に暖炉があり、中央にはゆったりとしたソファが置かれている。
入った右手に大きなデスクがひとつあるだけで、レセプションもコンシェルジュのカウンターも見かけない。
このデスクのまえに座ってチェックーインするわけで、もうこれだけで極めてパーソナルなホテルであることがうかがえる。
ここまでパーソナルな感じではないが、このホテルに似て、隠れ家的匂いのするホテルが、「レジダンスーマキシム」である。
場所は、シャンゼリゼの大通りとサントノーレ大通りに挟まれた一等地にあるのだが、玄関の小さなMのマーク入りの赤いテント以外、目立つものはなく、客室数も「オテルードウーヴィニー」に似て少なく、しかも、オールースイート。
ピエールーカルダンのホテルだけにおしゃれだが、スノビッシュな感じのするところが気に入らない。
それに比べると「オテルードウーヴィニー」は、シックでエレガント、じつに大人の雰囲気のするホテルである。
パリのホテルといえば、「R」「C」「V」「B」「MM」などが代表格だが、どれも伝統があって格式が高い。
超高級ホテルだけに居心地は満点だが、しかし、こういうホテルでいいサービスを受けられるようになるまでは、かなりの回数泊まる必要があるだろう。
それに比べたら、格式は高くないし、居心地も遜色ない。
加えて料金もかなり割安である。
それでいて、バスルームなど大理石を使った豪華版。
旅馴れた人にこそおすすめしたいホテルである。
「ジャマン」のオーナー・シェフのJは、一九九三年末に「ジャマン」を閉め、九四年一月に同じ十六区レイモンーポアンカレ通りにレストラン「ジョエルーJ」を新しく開いた。
そのレストランも九六年七月五日の昼食をもって閉店。
Jは千言通り、五十一歳で現役の料理人を引退してしまった。
アムステルダム、ブリュッセル、ロンドンと旅をし、パリヘやってきた。
近頃は、ヨーロッパへ出かけるというと、レストランの食べ歩きは半分にして、あとの半分をコンサートやオペラ見物にあてるようになった。
コンサートやオペラはたいがい夜だから、そんなとき食事は昼だけで夜は食べない。
これだと身体もひじょうに調子がいい。
アムステルダムでは、コンセルトヘボウで“サイトウーキネンーオーケストラ”を聴いた。
指揮者のOさんが中心になって、年一回、二週間だけ桐朋学園大学の卒業生が集まってヨーロッパでコンサートを開いている。
サイトウというのは、先年亡くなられた斎藤さんのことで、彼の薫陶を受けた弟子たちが、師の遺志を継ぐべく、年に一度集まっては心をひとつにして驚異的なアンサンブルを聴かせるのである。
わたしは、ザルッブルグやベルリンでの評判を耳にしていたから、機会があったらいちど聴いてみたいものだと思っていた。
わたしが聴いたのは、ブラームスの第二と第三の交響曲で、アンサンブルはききしにまさるものだった。
オーケストラのあちらこちらに日本を代表するソリストたちがいたが、第一バイオリンの最後列に、盲目のバイオリニスト和波さんがいて、ブラームスのシンフォニーのパート譜を暗譜(盲目だから当たりまえだが)で弾いていたのが印象的だった。
そして、翌日、ブリュッセルへ発った。
ブリュッセルでは、友人のO夫妻とおちあって食事をするのが目的だった。
O夫妻は、ふたりでヨーロッパへ出かけるのは初めてで、当初は東京から一緒に旅をする予定だったのだが、飛行機の都合で別行動となり、かれらが早めにブリュッセルに乗りこんで、わたしを迎えることになった。
しかも、食事を共にできるのが、この昼食の他にあと一回だけということで、最初に立てたスケジュールは、大幅に変更になってしまった。
わたしがチェックインした「オテルーアミーゴ」という、クラレプラスのすぐ近くにある小さなホテルでおちあい、ブリュッセルの三ツ星レストラン「コムーシェーソワ」へ出かけた。
かれらは、ここで昼食をとったあと、夕方の飛行機でパリヘ向かう。
「コムーシェーソワ」で食事しながら、わたしは、パリでかれらが出かけるレストランについてのアドバイスをしたのだが、かれらの泊まるホテルについては何の心配もしていなかった。
ところが、食事を終え、かれらはパリヘ向かい、わたしはそのあと美術館へ出かけたりプランプラスの界隈を散歩して、ホテルへ戻り部屋でくつろいでいると、パリに着いたO夫妻から電話がかかってきた。
「Mさんですか?ああよかった!」「どうしたの?」「いやね。
ホテルへ着いたら、チェックインの時間が遅くて、部屋がもうないと言われちやったんです。
それが五分遅れただけなんですよ、ひどいですよ。
それで、近くのホテルを紹介されたんですけど、こういうのって居心地わるいですよね」「それはさんざんでしたね」「そんな他人事のようなこと言わないで下さいな。
パリに来ていきなりこんなんじゃ、パリの印象ひじょうに悪いです。
どっか、他にいいホテルありません?ここには正直言ってもう泊まりたくないです」「う〜む。
何とかしてあげたいけど、どこがいいかなあ」「千五百フランくらいの予算内だったらどこでもいいですから、お願いしますよ」そう言われて思い浮かんだのが、「ホテルーヴェルネ」だった。
先日、パリヘ出かけたとき初めて泊まってみたのだが、客室数が少ないのにホテルが漂わす品格は、パリの超一流クラスのホテルと変わらない。
そして、何より清潔な印象が強く残った。
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